戦争の芽が育ってしまった。

ツイッターで「悪魔は同じ姿で現れない」との表現を読んだ。

そこで引用されているのが、このブログだ。

参議院選挙を前に・・・: 我が身の日常で支援を模索する

確かに大事(おおごと)である。

ふと頭をよぎるものがあった。

24節 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
25節 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
26節 麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。
27節 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
28節 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
29節 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
30節 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」


マタイの福音書13章24〜30節

ある意味、この通りに、毒麦が芽を出し、その種を実らせるまでになった、戦争の種を。

今こそ、大きく育った「民主主義」と「毒麦」を合わせて収穫し、より分けて、毒麦を燃やし尽くすとき。そんな気がする。

70年前の敗戦は、大きな転機だったが、それでも充分ではなかったのだ。
これから先の一歩が、将来を決めるのでしょう。

しかし、今、明確に本当の民主主義が日本で目覚めようとしているのを感じる。昨年までとは、同じ行動をしていても、話しかけていても、反応が違うのだ。

その手応えを実感しつつ、ただ、歩もう。

小牧市図書館戦争

武雄市TSUTAYA図書館が小牧にも来るかもしれない、図書館の自由を放棄するのは愚の骨頂。そう思って調べていたら、こんなサイトが。

小牧市図書館戦争


うん、図書館戦争だな。銃はないけど、図書館の自由を守る戦いには違いない。
良く読んであげてください。

天空の蜂を観て。

シルバーウィークの3日目、天空の蜂を見てきた。東野圭吾の原作だが、まだ読んでいない。(映画の後、思わず買った)

高速増殖炉を持った原子力発電所新陽(どう考えても名前は常陽からとって、位置的にはもんじゅですが……)の上空に巨大ヘリコプターがテロに乗っ取られホバリング、回避するためには日本中の原子力発電所を破壊せよという要求。

中身には観てほしいのであまり触れないが、20年前に書かれた作品とは思えない預言書のような作品だ。実際に3.11を経験した私たちには、この映画の中でしきりに「原子力発電所を一台も動かしていない日が一日でもあってはいけない」という状況が約2年間に渡って崩れていることを既に知っている。

作品そのものは原発の是非を問うては居ない。ただ、沈黙を続ける無関心層への警句が強く押し出されている。見たくないものを見ないで済ませようとする、日本人への警告なのだ。

隠蔽体質、建前と本音、いじめ問題、様々な考えさせられる。
エンターテイメントとしても、一流、見ている間中息を忘れる。

どうか、このシルバーウィークの間に見てもらいたい作品です。

若い人たちと共に声を上げてきました。

昨日は金山でDemosKratia (@peacesharing) | Twitterの子たちが街宣するというので
顔出して、ついでに飛び入り街宣してきました。
DemosKratia on Twitter: "誰かの敵になってはいけない
戦争犯罪を許してはいけない
憲法9条は世界中の理念でなくてはいけない http://t.co/dZUQQyW6Mj"

街宣内容(原稿ではありません、アドリブで話したことを思い出しながら書いています)


金山をご通行中の皆さん、お騒がせしております。
昨日未明に通ってしまった安保法案を危惧してこのように声をあげています。

安倍総理は、日本国憲法を「GHQに押し付けられた、情けない憲法」と言いました、果たしてそうでしょうか?
1946年5月27日の毎日新聞での草案の世論調査*1によると、反対派13%それに対して85%が賛成ということになります。それほど、日本人は戦争が嫌になっていたのです。

さて、GHQからの押し付けであるという話は正しいのでしょうか?
GHQ案がたったの9日間で作られたというのは、その下敷きがあったのです。
調べた限りでは明治15年植木江守による 東洋日本国国憲案がそれになるようです。(ほかにも日本の憲法草案を研究してたようです)、つまり、アメリカから押し付けられた憲法とやらは、元の出元は日本です。

また、9条については幣原喜重郎、この方は敗戦後の首相ですが、この方が肺炎を起こし、GHQから特効薬のペニシリンを都合され、その後のお礼にダグラス・マッカーサーとした会談がいわゆるペニシリン会談と言われるものですが、この場で幣原から世界中から戦争がなくなるためには戦争を放棄するということ以外にないと9条の下になる考えを伝え、マッカーサーの支持を得られてGHQ草案に入っていったということのようです。

次に、皆さんはこの絵を皆さん見たことがあると思います。

文部省が発行した「新しい憲法のはなし」の中の戦争放棄に関する挿絵です。
これを具体的に表したの憲法9条です。

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この9条の存在により、日本人は戦争をしないのだと、これは武装解除を米軍によってされているがゆえにできたこともあり、日本人は世界から美しい誤解をされてもいるのですが、それでも、世界から戦争をしない国民だとみられてきています。

このことで、その美しい誤解の結果、例えば海外に出て行っているNGOの人たちは丸腰で行っていますが、今まで彼らを襲おうという勢力は殆どありませんでした。
今からは---既に一部のテロ組織がそれらの日本人を殺せという声明を出しているようですが---状況が変わってしまうのです。

海外で受けている美しい誤解、もう一つはみなさん海外に行った方は経験があるんではないでしょうか? 税関でとても並んでいるときに、日本のパスポートを持っている人だけが優先的にパスさせてもらったことはないでしょうか? イミグレーションで優遇を受けたことは? これらも日本人が戦争をしないと思われていることの恩恵と思われます。

また、実際に私たち自身のメンタリティについて話します。

様々なスポーツの国際大会がある時、世界の多くの国はそれを代理戦争として見るようです。
なので、他国で行われる試合の際、その場所は自国からの応援団以外からの応援は望めないアウェイ感を味わうのだそうです。

しかし、どうでしょう? 例えばワールドカップのとき、野球の国際大会のとき、私たちは海外からのチーム・選手を応援しなかったでしょうか? あるいは日本人通しで応援するチームが割れて喧嘩するなんてこともあるようですが、私たちは代理戦争として見ているでしょうか?

その結果、海外からくるチームは、多くの日本人に応援され、アウェイ感を味わないで済むという不思議な体験をするようです。

戦後70年、戦争をする必要のない日本人は、スポーツを純粋にスポーツとして楽しむことができるという宝を得たのです。世界のどんな国から来た人にとっても日本はアウェイとならずに済む可能性があるのです。

だからこそ、日本は世界のどこの敵になってもいけません。戦争犯罪を許してはならないのです。
せっかく手に入れたこの宝を手放してはなりません。
9条の理念は日本だけでとどめてはならず、これは先程の幣原喜重郎が言っている事でもありますが、世界に広げていき、世界から戦争をなくすための、そのための努力をしなくてはならないのです。そして、100年1000年と戦争のない国を世界を造っていかなくてはなりません。

ありがとうございました。

*1:衆議院のリンクがかつてはあったが失われているため、代替のリンクを示す日本国憲法の基本的性格

普通ではない国日本

日本は世界から見て、不思議な国です。
ワールドカップなどで、他国のチームが一杯来る時、日本人は彼らを応援するよね?

まぁ、直接日本と対決するときはともかく、他国のチーム同士が戦うとき、両方応援する人が多いよね?

野球の国際大会があったとき、台湾のチームはTaipei Chinaではなく台湾と報道してきたことに喜んでいたよね?

でもね、国際的に見るなら、このようなスポーツの国際大会は、その根っこに代理戦争の要素があるため、あまり他国を応援しないんだ。

なのに、日本で試合をするとき、なぜか大勢の日本人に応援されるという不思議な経験を他国から来るチームはするわけです。


日本は大概の訪問者にとってアウェイじゃなくなる可能性のある国なのです。



この珍しい日本人気質、戦後のモノですね。それも明確に徐々に形成されてきたものです。他国と戦わない決意をした日本、他国と戦う必要のない日本だけが、持ち得たものでしょう。

憲法9条の理念は、じっくり時間をかけて、日本国民に染み渡ってきた訳なのです。

いま、世界から、様々な形で称賛されたり、面白がられたりする日本。

これを手放すのが、憲法9条をぶち壊しにする、安保法案と言えるでしょう。

世界から、羨望の目で見られるのと、平凡なただの戦争できる国とどちらになりたいですか?

連立NextCabinetの設立を!

次の内閣とか、影の内閣という与党以外が作る仕組みがあるじゃない?
あれを有効に使おうよ。
協力するとかしないとか、言ってる場合じゃないだろう? と思うんだ。
でも、各党作っても自党の人だけで現実的じゃない。どうせ連立組まないと政権なんてとれないでしょ?
ならば、初めから民間登用含めて考えてみませんか?

とりあえず叩き台は考えてみている。


Evernote Viewer

こちらにも転記しておこう。
色々と意見が出て、実際にも反映するなら価値はあるんじゃないかな?

9/16追記
とりあえず、私案から某野党三党の方のお名前を消しました。理由はご想像ください。

安保法制反対のデモに参加して

今日は(も?) 午前中の礼拝の後、自民・公明両与党国会に提出している安保法制に反対するデモに参加、16時から白川公園、18時から名古屋駅東口と二箇所はしごした。

今回のデモは、SEALDsが主催のデモに共鳴して全国64ヶ所で開かれた一つ。
今まで参加したデモとは異なり、若い力が主導してくれていることもあり、コールも新鮮だった(東京などで行われている形式を持ってきてくれたのかな?)

このまま放っておけば、まさに民主主義が崩壊してしまうような法案を出している与党にNoと言うのは、私自身のクリスチャンとしての信仰に基づいて、祈った上で行っている行動だ。

60年、70年安保闘争の時とは、様相が違うデモ。
どこにも火炎瓶は飛ばない、警察と圧し合いもしない、基本的にはどこの組織が居るから来ているというわけではない市民が、各々立ち上がって(まぁ、主催している組織はあるとしても)主体的に集まって成立している民主主義を取り戻す闘いなのだ。

名古屋駅前では創価学会の会員の方もスピーチをしてくれ、
創価学会はご存知の通り公明党を支持してきた、それは平和を愛する党だと教えられてきたからだと。与党となっても自民党のブレーキ役を果たしていくんだと、ずっと思ってきた、でも今実際にやっているのは自民党と一体化してのアクセル役になっている、到底これ以上支持していくことなんてできない」
といった趣旨のことを伝えてくれた(メモ取ってないので、ニュアンス違ったらごめんなさい)

私達クリスチャンはそれに対し、何を発信しているか、何を発信していくべきか。
考えなくてはならないんじゃないかな?

できることを、ひとつづつ、祈りながらしていこうよ。

主の導きに照らされながら、足を一歩先に出しましょう。
一歩前しか、見えないけど。照らされながら……