今日という日

今日は8月6日、原爆記念日である。かつての悲劇を忘れてはいけないのは確かなことで、そのことは語り続けなくてはいけないだろう。が同時に忘れていることはないだろうか?

日本は唯一の被爆国であると、喧伝されている。
しかし、その実態はどうだろう? 実はプルトニウムの生産国なのではないだろうか? 非核三原則が笑わせる。「兵器」の形にはしていないかもしれないが、せっせと生産を続けているわけである。

稼動中の原子力発電所が危険かどうかと言う観点では、十分な資料を持たない以上無責任には書けないが、六ヶ所村の再処理工場に関しては言いたいことがある。政府はやたらに「安全だ」と繰り返してきたが、誰が管理し続けるという条件付の「安全」なのだろう?

日本のプルトニウム保有量 | 一般社団法人 原子燃料政策研究会によれば、少しデータが古いが、日本が保有しているプルトニウムの総量は5.7t(国内)+37.4t(海外にて処理中のもの)= 43.1t もの量になる。

日本のプルトニウム・プログラムは、核拡散防止体制を脅かすとノーベル賞受賞者らが警告という報告もある。

さて、この保有しているプルトニウムを「使用しないで無害な量」にまで減らすことを考えた場合、どうなるだろう?
切り良く、40tとしてみよう。
これが半分の20tにまで減るのに、2万4千年かかる(これを半減期という、プルトニウム239のものを例として記した)。金属状態のプルトニウムの臨界量は5.6kgこれは、最小必要量だから、だいたい10kgは必要だと多めに見積もって考えてみたい。

ラフに計算して、20tが10kg以下にまで減るためには、10kg×2^15≒40000kg なので(ラフすぎ?)2万4千年×15=31万2千年 の年月が過ぎないと核兵器を生産不能な量にまで減らすことは出来ない。
単純にプルトニウムだけを見たが、核分裂生成物は他にも一杯あるのであり、その管理が容易ではないことは年月という観点で見ただけでも。想像を絶するものだ。

考えてみて欲しい。30万年以上先にまで残る負債を既にこの国は抱えているのだ。
国債すらまともに返済するめどが立たないこの国が、それだけの間「何が何でも管理しなければならない」施設を維持できるものなのだろうか? それを考えた上で「安全か否か」を判断するべきだと、私は思う。

今回の文章の中で、あえて現在の原子力発電所自体の危険性、放射能漏れなどの事故の危険性については触れていない。危険性を強調して扇動することは、かえって推進派の指摘を招くことになるからだ。将来、何らかの手段でこれらの廃棄物を無害化する手段が確立できたなら、その時には素晴しいエネルギー源であるかもしれない。ただ現在はやはり、手を出してはいけない領域なのではないか? 十分な畏れをもって考えるべき事柄だと思う。

核エネルギーは、人間が扱うべきものでは、多分無いのだ。少なくとも、今のところは。
今日という日、広島、長崎を思い返す際に、このことも考えてみて欲しい。