人の限界
生めよ、増えよ、地を満たせ、地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ
創世記1章28節 新改訳聖書第3版より
唐突な出だしですみません。
元来、聖書的な立場でいうなら人は、地上の支配権を神から委ねられた存在です。
ただ、この「支配」という単語の語感が、なんだか誤解を生んでいるように思えてなりません。
多分ね、「管理」と訳した方が、今は誤解か少ないんじゃないでしょうか?
たとえば、マンションの管理人(非オーナー)というケースで考えてみたいと思います。
個別の住民の部屋に無断で入る権利が彼にあるでしょうか?
マンション全体を好きなデザインに建て替える権利があるでしょうか?
仲裁はしなくてはいけないでしょう。また、伝えなくてはならない多くの事柄に責務もあるでしょう。
しかし、彼は持ち主ではないので、彼に許された権限には、自ずと限界があります。
この月曜日、新潟で起きた地震。活断層の調査検討が不十分だったということで、いろいろ叩かれているようですが、東京電力がと言うよりは、官僚と政府の責任でしょうな。
本来、人の寿命では、高レベル核廃棄物を管理できないのです。その半減期は人の寿命に比して、恐ろしく長いのですから。
聖書には「人の齢は一二十年にしよう(創世記6章3節)」とありますいわゆる長寿の人たちが、大体このくらいですから、正確な記述です。
人が直接期待できて、責任の持てる時間的な長さというのは、せいぜいこの範囲までではないでしょうか?
技術的な興味はありますし、研究は続けても良いでしょう、例えば、太陽に捨てるなり、地球のマントルに放り込むなりの手だてがつくならばですけど。
しかし、すでに40tものプルトニウムを抱える日本が、自国では責任が持てないのに、使い続けるのが国策というのはどうでしょう?
憂います。
地上を支配というのは、先ほども「管理」だと書きましたが、代々続くものでもあります。
間違っても、自代で使い果たす浪費は許されない筈です。
努力は為されていて、京都議定書に基づく二酸化炭素の排出削減などは、評価すべき試みであるし、自国の経済を理由にこれを批准しようとしない大国は、現に国際的に非難されています。
力あるものが正しいのではないし、力があるから正義というのも誤りです。
答えが、すでに用意されているわけではありません、これから探さなくてはならない課題と対策は山積みです。
しかし、明らかに身の丈に合わないことを、自身の責任で語るのは、そのあとに言い訳が待つだけなので、信頼に値しないでしょう。
こんどの選挙(参院選と、一部の地方選)において、投票する私たちも、その票を受ける候補者も、その他の政治家の方も、良く考えて(祈って)、臨んでほしいと、思います。