弱者に寄り添う主

ふと、聖書をめくり、気になった箇所がある。

3節	わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
4節	あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

イザヤ書46章3,4節 新改訳聖書 第3版より

聖書の神は、私たちが生まれる前から私たちの全てをご存知の方であり、私たち自身が把握している以上に、私たちをご存知の方でもある。

重荷を私たちが負うことができる時は、

28節	すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 
29節	わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 
30節	わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

マタイによる福音書11章28-30節  新改訳聖書 第3版より

と言われるように、私たちを休ませてはくれるが、私たちに負いやすい責任を(イエス様ご自身とともに)負わせ、歩ませるように語られる方ですが、一方重荷を背負うことができない、何もできない状態にある者に強制もなされない方です。それが、このイザヤ書の箇所かなと。


主は、不思議な助言者(ワンダフル・カウンセラー と欽定訳聖書には表現される)。私たちの一人一人に、寄り添ってくださるのです。