原子力発電がなぜいけないか

今日は、クリスチャンの立場から改めて書いてみます.

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

新改訳聖書第3版 創世記1章28節


創世記の割と頭の方にこの句があります。

誤解されやすい「支配せよ」との言葉ですが、聖書は一貫してこの全世界の所有者は神であるであると記しています.

となれば、この支配という言葉は、「好き勝手にして良い」と言う意味ではなく、「管理せよ」という意味になります。

さて、発電所自体が安全かどうかはここでは不問にします。*1

発電所自体が安全かどうかを不問にした場合、問題になるのは、原子炉自体の廃炉の問題と、使用済燃料の処分の問題です.

原子炉自体については、日本ではまだ廃炉作業の実績が在りません。作った原子炉はすべて期限を延長してきたからです。

つまり、初めからデータの無い中で稼働させ、データの無い中で次々に原子炉を作ってきたわけですが、まぁ、廃炉の実績は福島でこれから積みますから、(初の)ノウハウも出来るでしょう。


次に……と言うか,こちらが本題ですが、使用済燃料:核廃棄物の問題です.

使用済核燃料は、どれくらい保管すれば安全になるのでしょうか?

使用済核燃料には、半減期が8日のヨウ素から半減期が数万年の超ウラン元素まで様々な元素が含まれますが、これらを安全に自然のなかに帰すには期限の長い物に合わせて考えるなら数十万年は管理し続けなければならず、論外と言えましょう。


では、絶対に原子力は禁忌なのかといえば、実は私はそこまでは考えて居ません(絶対反対派の皆さん、ごめんなさい)。

私は現状では「管理できない」からダメだと申し上げて居るまでです。


核種変換という概念があります。これは、(核分裂や、核融合も大掴みな議論ではこれに含めてしまっても良いかと思いますが)原子を別の原子に変えてしまうと言うことです。

具体的には、いわゆる放射能に晒すことで

  1. α線 → 原子番号が2、質量数が4増えます
  2. β線 → 原子番号が1増える,または減る.質量数は変化なし
  3. γ線 → 核種変化には影響なし。ただし電子軌道を励起状態に変化させる
  4. 中性子 → 原子番号に変化なし、質量数が1増える

これらの反応を与えることで、原子の電荷、質量は変化してきます。

取り分け不安定な核種になる場合、その核種は即座に崩壊し別の核種に変化しつつエネルギーを放出または吸収します。(ex. ウラン235+中性子→ウラン236→→崩壊→→イットリウム95+ヨウ素139+中性子×2個+エネルギー(200MeV) )

そのため、現在の核廃棄物を、何らかの方法で安定して核種変換を行い、鉛(ウラン系列含め、多くの核破棄物中の各種は、数億年後その大部分が崩壊して鉛に変化する)やその他の安定核種に至まで強制的に変化させる手順が出てくれば、その時私は原子力賛成に一票を入れることでしょう。

しかし、上記のことは、理学的には可能でも、工学的にはまだ確立して居ません.可能ではあってもペイしない技術なので、今後も「小規模な実験炉で実証実験を繰り返す」中で確立していくべき技術であり、見切り発車で実用炉を稼働させる段階には無いと考えています。

また、現実には既にそぐっていませんが、日本が現在どれだけのプルトニウムを保持しているかを考えますと,2007年の段階で,45トン(日本は一体どれだけの核を保有しているのか?_中国網_日本語)ものプルトニウムを保持しており,長崎型原爆で換算するなら5000個分と言う計算になるそうです。これは全世界の1/5に当たります。

日本のプルトニウム核兵器級ではなく原子炉級だから、核兵器には繋がらないという話もあり、私も最近まで信じていましたが。

  1. そもそも、文殊と常陽で生成されるプルトニウム核兵器級である
  2. 原子炉級プルトニウムで原爆が作れないというのは、虚偽報告であるということ(参考文献:提言/報告書 | 一般社団法人 原子燃料政策研究会)

上記2点から、既に日本は開発はしていないものの潜在的な核大国であるという事が言えると思われます。

原爆が日本を襲ったことは衆知の事実。核廃絶を訴えながらこの備蓄量。矛盾としか思えません。

一足飛びに、土台も無しに塔を立てたり城を築いたりすることはできません。砂上の楼閣とはよく言ったもので、そんなことをすればどんなに立派に見える要塞であっても、地震の一つ、津波の一つで崩れ去ってしまうでしょう。

順番は大事なのです.基礎が無いままに、先走っても。その収拾の付け方は誰にも判らないのです。分を越えた技術がいつまでも分を越えているかどうかは判りませんが、現在扱えない技術だということを素直に認め、基礎研究を続けるところまで規模を縮小し、その中で核種変換による廃棄物の無害化か、太陽へ捨てにいくか、何か「将来の子孫に根本的な迷惑をかけない処分法」を確立するまで、原子力発電は封印するべきというのが。地上の管理を委託された人間の責任の限界だろうと、人の身で今考えます。

現実的には、平行して経済も考えなくてはなりませんから,そちらは,また別に(後日)考察します。

*1:もちろん,それはそれで問題ですが、ここは敢えて現実を無視して、公報どおり「絶対に安全」と仮定します