続・電力供給を考える

さて、昨日(d:id:kyrina:20130311:p1)に引き続き考えてみたい。

40年間、原子力問題はその核廃棄物の処分を棚上げにしてきた。

それと同時に高速増殖炉を省資源国である日本の切り札として、『燃えないウラン238をプルトニウム239に転換して燃料にしよう』として来たわけであり、
廃棄物処理については『原子炉の耐用年数の40年が終わるまでには、何か見つかるさ』というおおらかさで積み上げてきた結果が現在である。

正直無責任の極みであるし、どうにかしろと過去に向かって叫びたいところだが、現状として既にあるものは無いものにはできないので、ここから考えていくしかない。


40年かけて失敗を繰り返してきたものは、1年2年で取り戻せると考えてはならない。

少なくとも同じ年数、あるいは、その数倍かかってどうにかその失態を取り戻せると言うのが、何も核問題に限らず、我々が理解しているこの世の理ではなかろうか?

であれば、開発に40年乃至80年かけてこのゴミを片付ける決意はする必要があるだろう。


私自身はクリスチャンであるため、その価値観念には与しないが、国粋主義の方々に問いかけたい。
この国土は、その立場であるなら2千6百数十年の歴史を誇るものであるとされていると思うのだが、たかだか40年で踏みにじられて良いものなのか?


昨日のブログにも書いたが、このまま原発を続けるなら、もうその核廃棄物を『一時保管』する場所すらなくなるのだ。
プルトニウムの大量保留は問題であるが、もう、日本の国土に限っては、一時保管すらできずにパンクするのだ、海にそのまま解き放って良いのか、世界に、主にアメリカに問おう。


海流の関係から考えて、日本に抑えきれなくなった廃棄物は福島からの比ではなく、太平洋を汚染してしまうだろう。
それが見えているならば、今は『一時停止』を受け入れよ。


無条件に原発を停止と、私も言いたいが、数十万年の保管が必要なゴミを抱える地盤は、国内には無い。
所詮は10万年単位で浮き沈みを繰り返してきた島国なのだ。
そんな地盤はあるわけが無い。

となれば、やっと40年かけて、処理する希望が見えているのだ。そちらに傾注して、少なくとも孫子の代まででゴミを処分しなければならないだろう。

現状の原発廃炉作業だけでも、100年からの大掛かりな作業にはなるだろうが、そちらだけ潰してもゴミは残る。ゴミの方もどうにかしなければ、子々孫々に
彼らに責任の無いゴミだけ押し付けるのは、どう考えても日本人の文化ではなかろう。

だから、国際社会に問え。
処分方法を日本が責任を持って確立すると。プルトニウムは現状数十トンも抱えているが、核保有する野心は日本には無いと。
その保有するプルトニウムも確実に『処分』していくのだと。そのための算段は確定こそしていないが、見えてきているはずだ。

そして、国民に当たれ。
既に事故の起こった、何かあれば暴走する軽水炉ではなく、手を入れなければ停止する正のフィードバックでフェイルセーフのかかるタイプの

  1. 加速器駆動未臨界炉
  2. 核融合

の研究を進めさせてくれと。

もちろん、中性子遮蔽技術には注力してほしいし、そう単純では無いけど、ただただ反対と叫ばざるを得ないような不透明な行政は改めて欲しい。

私も含め、国民は政府が(自民・民主を問わず)、国民を欺きながら何かを企んでいる、右傾化させていくと言う恐れを抱いている。
その不安が払拭で切るとは言わないし、本当に何もないとも思っていない。

ただ、今の日本のやり口は、一部の企業をのぞき、国の中からも、海外からも尊敬を得られるものではなかろう。
今の原子力事業を負けたのだ、その敗戦処理をせずに、次は無い。

1年2年では何ともならないのは分かっている.100年かけて片付けてくれ。

100年だって途方もない、でも、それが、過去の、そして今の世代がやらかしたことを、責任回収できる限度だと思う。
場内保存の500年だとか、最終処分の10万年だとか、軽々しく言わないで欲しい。それは、ただの責任逃れで思考停止だ。

ゴミは片付けよう。
それが、私の願い……