主日礼拝

今日は台風接近ということできを揉んでいたが、南に逸れたらしく、最接近と思われた今朝9時の段階で、既に風も穏やかで雨もなく、良い主日なった。

賛美

今朝は、中高科の子どもたちと賛美からスタート。「ここに私がおります。私を遣わしてください イザヤ書6章8節」が今年の年間聖句だが、これをテーマにした曲から賛美スタートした。

様々な中で道が与えられますように。

メッセージ

創世記40章から末松師。

ヨセフ物語の三回目。
エジプトに売られ、牢獄に繋がれたヨセフがパロの高官達(やはり獄中に繋がれている)のみた夢の解き明かしをする話。

文化背景と、現代への私たちに直接適用できる点と出来ない点。などを学ぶことができた。

祈りが一見聞かれていないように見えることは、確かにあるのだ。
しかし、その中で、主の側がなす範疇のことを私たちが心配しても仕方のないことだし、同時に、私たちに委ねられた範疇のものを放棄してもならないのである。

分級

マタイの18章から何度まで赦すべきかと言う話。

当時のユダヤ人の理解では、3回と言うのが共通の見解だったようだ。

日本でも「仏の顔も三度」などと言い倣わされている。

それをペテロは「7度まででしょうか?」とイエス様に尋ねている。
多分誉められると思ったことだろう。しかしイエス様の答えは「7回までとはわたしは申しません、7を70倍するまでと申します」と。

これを、単純に490回と理解するべきではない。「数えているようではいけない、限りなく赦しなさい」と解するべきでしょう。計算はできたとしても、日常生活の中で、罪を赦した回数として考えるなら、もはや「数えられない数」なのだから。

グループ連絡会

9月の結婚式の準備の話題、8月のスケジュール調整などを一時間半ほどかけて調整。草刈りの日程決めに少し時間がかかったかな?

これから、今朝も書き込んだ「小さないのちを守る会」のコンサート&講演会に行ってきます。ハレルヤ。