不思議な御業

上のタイトルの集会にて、流しそうめんを行った。これにまつわる不思議なあれこれ。

事前の調査では、50人〜60人の青年が集まることになっていた(この段階で、卒倒しそうに多い)。その人数分の食材を調達しなければならない。

出した食べ物は、流しそうめん、韓国チヂミ、カキ氷の3点である。

流し素麺は、近くの教会員の裏庭から切ってきた竹を割って、樋を作り、さらに細く割った竹で、箸も作り、あと人数分は出来ないが汁を入れる器も、節のところを利用して作った。

その食材のうち、素麺を、昨日夜勤明けだった私は、唐突に「買いに行かなければならない」という衝動に駆られ、眠い目をこすって買いに行った。

本来は、K君が買ってよい筈のものである。
素麺を5kg(250g入りのパックに「3人前」と書いていたので、60人前として、5kgになる勘定だ)「だけ」買ってきた。
普通に考えるなら、この段階で汁も買うんだろうが何故か素麺だけに突き動かされて、確保したのであった。

夜になって、K君が翌朝は礼拝からは教会に来られず、遅れることが判明。
当日になって、さらに彼が遅れてくることが判明し

彼の手元にあるのは「カキ氷のシロップ」「素麺の汁」といった、「直前までにあればいいもの」

私が準備したのは、事前にゆでておく必要がある(ある程度早めに用意できてなければいけないもの)素麺60人前だった。
もし、K君が素麺も分担していたら、起こるはずの破綻が、不思議に補完されていた。

最近、良くそんなことがあるのだ。平日休みの「夕方に歯医者の予約」を入れて、日中寝てすごす予定を立てる、急遽教会で葬儀になり、「数少ない男手」として、午前中に動くことになる。
他にもいくつか、ここには書き難いが、自分が「意味不明の行動」をとり、あとから「唯一の正解」だったことに気がついたりする。

「主よ、通り良き管としてもちいてください」とは、よく祈るのだが、今、きかれている気がしてならない。

ただ、一言文句があるとすれば。
「どう使われても構いませんから、ちょっとだけ、わかるように説明・・・・じゃなくていいですが、せめて『主の御用でこういう行動をとっている』という自覚が欲しい」
のです、必ずあとから判るので ^^;
ねぇ、神様?