原爆記念日

今朝の未明に、原爆と原発について少し書きました。どちらかというと論理の立場からです。

では、信仰の立場からもう一度この日について書いてみようと思います。


何故、神様は戦争を止めないのか、最悪の結果を招く爆弾を何故止めないのか。


一つには、神様は人間に自由意志を与えられた上で、地上の支配権を人間に認めているということです。

たとえば、創世記1章26〜28節に、こうあります。
「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」

これはどういうことかというと、戦争を起こしたこと、核兵器を発明したこと。これは神様の責任ではなく、人間の側に主体的な責任があるということです。
指針は聖書という形で与えられています。それに従うかどうかは、人間の意志にゆだねられています。

それにしても……『核』はやはり、人の手を超えていると思うのですよね。私としては。
『始末が出来ないゴミ』をどうにかするまでは。


それより先に、イスラエルに『神殿』が再建されそうで怖いですが……(黙示録的な世界観では、世の終わりにはイスラエルに「神殿」があることが前提になっています、参考資料は isbn:4907737270 この辺ね)


全部神様のせいにすれば済むというのは、神様の信頼を裏切る行為で甘えです。
何とかできるはずの知恵も、与えられているはずなので、あきらめずに解決の道を探るべく、祈る……祈りつつ考える……が筋なのでしょう(たぶん)


地震の無いところもありますが。日付も変わりそうなので。この辺で……


主に在って

P.S.
【世界の平和を願うこの時期に】 | 【こころのエステ・フィットネス札幌】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~ 聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]のブログを読み、いろいろと考えさせられました。『手の届くところ』かぁ、そうですよね。手の届かないところに大風呂敷広げても仕方が無いんですよね……難しい。