国歌再考

ふと、MIXI内にて君が代について話題となった。

そこで、君が代の歌詞は知っていても意味が判らないと言う意見がちらほら。

私は君が代を国歌とすることには昔から反対だが、同時に(自己流であれ、受け売りであれ)
意味は知っている上でのことだ。何故、意味を知らずに賛成反対を言うことが出来るのか、そもそも疑問であったので、少し解釈を施した上で意見を書きたいと思う。

歌詞:「君(きみ)が代(よ)は 千代(ちよ)に八千代(やちよ)に さざれ石の
巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで」

解釈:「(私の愛する)あなたの命が 千年にも八千年にも
 さざれ石(こまかな石)が集まって 大きな巌(いわお、岩石)となって、(そこに)苔が生えるまで続きますように……」
という恋歌(ここは意見の分かれるところだが、私はこう解す)が、もともとの歌の意味。

本来は『君』は天皇を意味しない。そうとらえている。


しかし、明治維新後、欧米の一流国には国歌と言うものがあり、無いような国は野蛮である……


そんな話から、急遽作ったのが「君が代」であり、この時に明治政府が『君=天皇』と言う意味付けを与え、結果、歌詞の意味が変わる。

すなわち、こうなる。

「(近上)天皇の統治する御代が、千年にも八千年にも
 さざれ石(こまかな石)が集まって 大きな巌(いわお、岩石)となって、(そこに)苔が生えるまで続きますように……」

単なる主(あるじ)の長生きを願う歌が、政治的意図を持ち、中央集権のキーワードとなった。

また、初期においては、メロディーも複数のバージョンが存在し、果ては二番まであったのだが、定着せず今のものに落ち着いたらしい。

二番については、帰宅してからリンク張るので。興味ある方はそちらを。


結局、少なくとも日本に於いては、法律も国歌の意味も解釈と運用が全てであり、『もともと込められた意味』とは独立に傾斜されていく性質を持たされているようだ。

そのため、君が代への反対はすなわち国家の過去の行いから演繹される未来への危機感と警鐘の現れであって、愛国心が無いとか言われるのは、ある程度しかたがないことにせよ心外なことである。

「感覚」だけで批判することは(自戒でもあるが)慎もう。

P.S.
リンクを張るのを忘れていた……
‚à‚¤ˆê‚‚̌N‚ª‘ã こちらになります。ご参考まで。