聖書講義(汗)

それはこうして始まった

弟子の人@ の発言:
せんせいーーーー○○くんから聖書の質問がありますーーーーーー
きりな@せんせいっぽい人 *1の発言:
なんでしょう?
弟子の人@ の発言:
なんで、神様は知識の木を作ったのでしょうか? とのこと
きりな@せんせいっぽい人 の発言:
む、難しいところを……

夜9時半過ぎの不意打ちである。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、しらないからです。

新約聖書 マタイの福音書 24章42節 新改訳聖書第3版より

とは言うが、まさにそんな気分の不意打ちである。


さらに追い討ちで

「神様なら封印しておけばよかったのにぃ」

ときたので、

「人間は鎖につながれた犬じゃなくて、神様に似せて作られたので、神様との約束を守れるように期待されていたんじゃないかな?」

と答えをつけました。

ただ、理由の方は解釈の一つで、ということは強調してだけど……

あとは、判らないことは「判らない」と言いながら、

  • 罪が神様から離れるということであること、
  • 何度も何度も守れないで居たこと、
  • 赦しには対価が必要なこと
  • 対価の生贄は、毎日居毎日ささげられていたこと、
  • 神様が本質的に赦そうと思っておられたこと、
  • でもただでは赦せないくらい聖い方であるということ
  • 対価としてその一人子を支払って下さったこと

と、一気に十字架まで行きました。

対価の辺りは、たとえばお皿を割ったときにはどうやって許してもらうかという辺りから「弁償する」という話しにもって行き、本質的には等価なものを持ってこなければ赦されない(=買い戻せない、贖えない)ということを説明しました。

人の命ひとつでは、人の命一人分しか贖えませんから、本質的にもっと価値のあるもの(=神様の命そのもの)で無ければ救いにならないのだということを説明したわけです。


(で、参考箇所として創世記の22章を、イエス様をなくされたときの神様に近い気分を味わった人ということで、アブラハムを引っ張ってきたわけですが、)

なんだかお子さんが、目をきらきらさせて来たとかでもう少しやりたかったのですが、さすがに小学3年生が起きていて良い時間じゃなくなっていたので、「続きはまた今度」と ^^;

不意打ちはドッキリしますが、訓練になりますね。感謝感謝。

参考資料:あちら側の様子はこちらに → d:id:dentin:070419

*1:一応教会学校の先生なるものをやっている……3月までは小学生を、この4月からは中高生が担当となった