基礎・原理・原則

原理・原則というものを押さえずに物事を捉えようとすると、破綻するというお話。

パソコンでも車でも良いのだが、機械にはその動作において欠かすことの出来ない構成がある。

変な話(商品としての意味付けで見ないなら)ケースに傷があったりネジが何本か外れていても、「パソコンとしての動作」には支障がない、車だと、窓ガラスが割れていたり、バックミラー無くても「走行する機能」には支障がない(「安全に」という形容は、また別の話なので、今は無視)。

しかし、電源やガソリンタンク、CPUやギアと言った「その機能を果たすのに欠くことが出来ない要素」が機械にはある訳で、ここの機能、要素を失ったとき、存在意義自体が無いとも言える。


さて、これは機械の話だけに閉じない。例えば勉強でもそうだろうし、美術や音楽と言った芸術の世界でも、アレンジできる個性の部分と、外してはいけない原則の部分があるだろうし、
スポーツにだって何にだってあるだろう。


さて、経済と政治に何故かそれがないように見えるのは気のせいですかね?

ちょっと言葉足らずか。

企業買収や、軍事力を背景にした強権の発動は、大概マイナスイメージを伴い、且つ、公正な行動とは、たぶんやっている側ですら「必要悪」と思っていることが多いのではないでしょうか?


少なくとも、自分の子どもに、学校で同じことをするように積極的に教える企業家や政治家は皆無に近いと思うのだけど、これは、原理原則から外れていることを意味しないのでしょうか?

どんな社会を望むのか、自分達の子どもにはどんな世界を残したいのか、これから先の世界から何を奪い去る権利が今の私たちにあるのか、

少なくとも、出来ないまでも考えることは有益な事と思われるから……


考えてみてください。