主日礼拝

なんだか、一週間がエライ早く過ぎるような気がする。
礼拝から、礼拝の間があっという間に感じるのは気のせい?

今日は午前中の奉仕がないので、ゆっくりと出かけた。

礼拝メッセージ

末松師により、「永遠のいのちとは」というタイトルで、ヨハネによる福音書17章1〜3節をテーマにメッセージを頂いた。

創世記の冒頭で罪が人間に入ったため、永遠に触れることの出来ない『生命の木』だが、実は福音に触れて、キリストを知り(聖書は『知る』という単語を、知識としてのそれではなく、例えば『人はその妻エバを知った(創世記4章1節)』と在るように、体験として知り、一体となることを示す、単なる性交渉を示す隠語ではないと読むべきだろう)、一体となることで、永遠のいのちへと繋ぎ合わされる。

すなわち、触れることを禁じられた『生命の木』の実に触れることが(罪許されたことで)回復されたと言うことなのだろう。

分級

今日の箇所は、ルカ10:25〜37節で良いサマリヤ人のところ。

分級とは別に、先日の日記にも書いた『サマリア人』をつい思い出してしまった……

閑話休題
隣人(となりびと)が『誰』なのかを問うことは、実はあまり意味のある話ではなく、誰の隣人になれるかと言うところが話のポイントなのだろう。
今日は、キッズメッセージでも良い例が上げられていたので、幾例かの具体例を挙げて、話が出来た。

本当は、もっと子供たちからの反応が上がってくると良いのだけどね。

聖歌隊練習

10月の終わりに、もうコンサートがあるというのに、あまり練習が進んでいない……
ちゃんと間に合うのでしょうか? 心配……

さぁ、あたらしい一週間。
がんばりますか。