主日礼拝
なんだか、一週間がエライ早く過ぎるような気がする。
礼拝から、礼拝の間があっという間に感じるのは気のせい?
今日は午前中の奉仕がないので、ゆっくりと出かけた。
礼拝メッセージ
末松師により、「永遠のいのちとは」というタイトルで、ヨハネによる福音書17章1〜3節をテーマにメッセージを頂いた。
創世記の冒頭で罪が人間に入ったため、永遠に触れることの出来ない『生命の木』だが、実は福音に触れて、キリストを知り(聖書は『知る』という単語を、知識としてのそれではなく、例えば『人はその妻エバを知った(創世記4章1節)』と在るように、体験として知り、一体となることを示す、単なる性交渉を示す隠語ではないと読むべきだろう)、一体となることで、永遠のいのちへと繋ぎ合わされる。
すなわち、触れることを禁じられた『生命の木』の実に触れることが(罪許されたことで)回復されたと言うことなのだろう。