夫婦・親子を考える。

例によって、水谷潔師のブログに感化されての日記です。リンクはまとめて記事の最下部に置いておきます。そちらもご参照あれ。

夫婦と親子、どちらが重要かと言う問いかけがあるとき、日本人は親子関係を先に取るのではないだろうか? さて、教会では? 聖書に照らした場合は? と考えると実は夫婦が先に来るべきだと言う。

なるほど。子供に注ぐ愛情は、夫婦間で互いに注ぐ愛情の溢れた分くらいが適量で、直接子供に注ぐと多すぎでおかしくなると言うことらしいです。


……


なにやら、色んな実例やら事件やらが頭に浮かびましたが、それは脇に置いておきますが、
「過干渉」や「過保護」が子供にとっても親にとってもあまり良いものではないのは、その通り
だと思うので、それも割愛。

第6回目のテーマの「子は鎹(かすがい)」に絞って考えて見ます。

この「子は鎹」、わりとよい意味で使われているように思うのですが、よく考えてみると悲しい言葉ですね。もう、愛し合っても、信頼しあってもいない夫婦、離別さえも考えている夫婦を子どもがつなぎとめると言うのです。
                「夫婦>親子(6) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性 より抜粋」

私は、もう少し好意的に「仲違いしたり、信頼を失いかけた夫婦が、子供を間に(必然的に)向かい合うことで、再び良好な関係が回復する」という意味で捉えていたので半ば愕然としたのですが、いや、事実として、そういう関係が世の中になければ、「小さないのちを守る会」の働きももう少し楽だろうなぁ、などと思われるのも事実なので、このことわざから真っ先にそういう意味を浮かべてしまうほど、いまの日本は病んでいるのでしょう。

子供が親に与える影響と、親が子供に与える影響では(子供が自立した後は別として)やはり圧倒的に親が子供に与えるものの方が大きいことでしょう。

にもかかわらず、そんな子供が一時的にではなく、継続的に両親を繋ぎとめる役目を負わされているのだとしたら、子供はいつ自分自身の成長に気を回せるのでしょうか?

子供の間の時間は、貴重です。ものすごく大量な事を親から、友人から、世間から学びとり、「感覚で」会得します。何が正しい、間違っているという価値観も、自分自身を肯定的に評価できるかも子供の時期……それも10歳までだと言われているそうです。(日記を参照しようと思ったらその日は抜けていた……今年の4月30日に東海聖書神学熟主催の「教会学校教師研修会」の中で、講師の田中哲先生*1が言われていたのです)

であるなら、その貴重な時間を「親の仲を取り持つ努力」に費やすことを課せられた子供はどれだけの不幸でしょう? 

私には子供がまだ居ないので(いや、それ以前に妻だって居ませんが……)あまりえらそうな事は言えないのですが、色々と考えさせられたので取り上げてみました。

夫婦>親子(1) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性
夫婦>親子(2) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性
夫婦>親子(3) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性
夫婦>親子(4) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性
夫婦>親子(5) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性
夫婦>親子(6) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性

*1:児童精神科医、著書に

がある