ものみ(預言者)

聖書において、預言者は神の言葉を預かるものとして、特別な意味を持つ。

その語る言葉は『間違える筈のない神の言葉』であるので、99の当たった預言と、1の外れた預言があれば、その預言者は死を免れない。ひとつの嘘があれば、その言葉は神に由来しないと見なされるからだ。

では、いっそ何も話さないでおこう、そうすれば、誰からも苛められることはない……しかし、今度は神がそれを許さない。神は預言者を物見櫓(ものみやぐら)の見張りに例えてこう語る。

もし、お前が攻め来る敵を見て取り、街に警告をせず、結果街が皆殺しにあったなら、街の人々の血の責任をお前にとらせる。

しかし、お前が警告したにも関わらず、街がそれを信じずに滅びるなら、お前には責任はないと。


これは、預言者に対して神が語られたことではあるが、それらの預言は既に聖書を通じて私たちに預けられている。


そう言った意味で言えば『ものみ』の義務は私たち一人一人にも当てはまるのかもしれない。たとえ迫害が待とうとも。