自転車考

以前も夜間無灯火の自転車について

『死にたいのか?』
という論旨と
『殺す気か?』
という論旨で書いた。

考える、何故彼らはそのような行動をとるのか。


日本人には三つの行動形態があるという考察があるそうで、その境界のレンジは『身内』『世間』『外』にわかれるらしい。

『外』とは『旅の恥はかき捨て』という諺に代表される、言わば自分と関わりのない世界である。

従来、『世間』の占める割合が、かなりのウェイトを持っていた。気心の知れた『身内』では好き勝手言っていたものであっても、近所を最小の単位に始まり、大きくは地域、国内全体に及ぶ『世間』では、分別があるように振る舞ったのだ。


そんな、分別のある人であっても旅行先では馬鹿なことをし、はては売春ツアーなる不届きな産業が成立するのも、こういった日本人の性質に根ざしていると言えば言える。


が、次第におかしなことになってきた。玄関を一歩出たとたん、直接の知人にでも出会わない限り、そこは『外』になってきている。

だから、何をしても平気だし、なにか言われても気にならない……

そういう図式を描くと、電車のなかでのお化粧や、迷惑行為にもガテンがいく。


じゃあ、何でそんなことになったかと言えば、私たち大人の責任でしょうな。あまりにも『無関心』で居続けたのだから、様々なことに。


その風潮を是とした以上は、それを下の世代にだけ止めさせようとしても無茶な話。

子どもは、大人の悪いところはよく真似るのです。


今年の一年を表す字は『偽』だとか。このままで、良いですか?