教会の中では、警戒は要らないのか?

久々に、水谷潔師のブログ紹介

アエラ報道に応答して(12)パンフレット到着!! | 命と性の日記〜日々是命、日々是性


十二回シリーズになったが、AERA誌に掲載された記事に対する応答と警告である。


私も入手したかったのだが、ついに当該誌は入手できず、なので直接に内容に踏み込むことは出来ないのだが、報道され、明るみにされた事件は『他人事』では無いと言う点で深く同意である。


私が所属する教会も、師の指摘にあるように、単立に近い性格を有しており、教会に対して優位な『教団』を有さない。



そのため、指摘されているような危険は有り、せっかくの機会なので精査するべきなのかもしれない。


幸い、教会員の牧師への依存度は、他の教会に比して良い意味で低い*1ので、差し迫った危険は小さいとしても、他人事と見なすのは、問題の本質を見過ごすことになるだろう。何らかの理由で、牧師の交代が起きた後の事も、考えておく必要があるのだろう。


祈ればそれで良いと言う問題ではない。神は人をその似姿として作りあげたのであり、それは人間の手にある問題は、人間自身の手にゆだねられているのだから! *2


自分たち自身が弱く折れやすい者だと理解した上で*3、祈り、自分たちを過信しないで、滑り止めを用意するべきなのだろう。


罪を犯したものを断罪する必要はないが、被害者を守るのは、『あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい』とは、実践しようとしなくては、為すことか出来ないののだから。


師のブログにのツチノコシリーズや、他の文章にも示されているが、根本的に男性はスケベで幼稚で莫迦である。*4


そこから、どれだけ『まとも』になれるのかは、独力ではハッキリ言って『無理』である。


そう考えれば、過度に牧師を神格化するのが、どれほどの過ちかは想像に難くない。(尊敬はしてください、かろんじて良いと言う意味では無いのだから)


知恵が与えられますように、祈りましょう。

*1:と、私は考えている

*2:もちろん、その中で祈りが不要だと考えてはならない、基準線はぶれてはならないのだ

*3:言うまでもなく、私も聖(きよ)さからは程遠い……

*4:私は男性であるから、しみじみ判るが、それでは女性が完璧かと言う問いは、答える準備がありません