フォースリー

今日は、礼拝を終えた後、何年かぶりに豊田聖書教会を会場にしてJECA中部地区連合青年会主催の集会「フォースリー」が開かれた。

日本国際飢餓対策機構*1のK姉妹が証(あか)しをしてくれた。


飢餓対策とは、食糧援助の事ではなく、食糧援助をしても、飢餓は解決しないという。


まず、大前提として、世界に食糧は足りているという認識から入らないと行けない。

愛知で開かれた。『愛・地球博』の会場に訪れた方は見たかも知れないが、世界には100億人の人口を養えるだけの食糧が現に生産されていると言う。

では、何故飢えは生じるのか?


ひとつには、食べないで棄てられている食品の存在が挙げられる。

日本は、食糧自給率が低く、大半を輸入に頼っているが、その三分の一が食べられる事無く棄てられているという。

これをなんとかしなくては……

という辺りまでは、どこででも聞ける当たり前の話。


今回はむしろ、その国の側の解決されるべき、解決し難い問題の方に驚いた。


先日、WATOTOクワイヤーというエイズ孤児によるゴスペル団体が来日して話題となったが、彼らの国で何故それほどエイズが蔓延したのかという事の方により深い問題があり、悪循環をどこかで切らない限り、回復は望めない。

はじめは何が原因であったのか私は知らないが、政府軍と反政府組織の対立があった。

組織は兵士を補充するため、子どもを拐い、少女は慰みものとし、少年は虐待と洗脳で忠実な兵士と変えていく。

その洗脳の段階で、家族や村を度胸試しと称して少年に焼き討ちさせる……少年はもう帰れない。


戦闘は終わった、しかし少年たちに帰る場所は無く、戦い以外の生きる術をも知らない。

自然、彼らは生きるために人々を襲う。畑はますます荒れ、少女たちは、エイズ孤児を身籠るのだ。


何からできるのか、そんな途方もない事は分からない。

ただ、これは昔話でもなければ、対岸の火事でもない。今起きている現実だ。

まず、私にできること、それは認識すること、そして祈ること。そして、伝える事である。


それ以上のことは、今は出来ない、残念だけど。

忘れないこと、でも、これが一番大事かもしれない。最も酷い扱いは無関心なのだから。

祈ろう