主日礼拝
私達とキリストの関わりを思い起こすこの機会、毎月のことながら、大切にしていきたい。
結婚準備委員会
正式な形の委員会は、三回目のこれで最後。だいぶ細かなことまできまり、ホッとした。
あとは、自分たちの持ち分の原稿と、それを基に内容がかぶらないように打ち合わせ。
どうするよ、近づいて来たよ。式次第の相談も始めなきゃ。
結婚準備の学び
エペソ人への手紙5章22節〜29節を引いて、家庭の秩序を守るために、聖書が夫により大きな責任を負わせ、互いの背後に神の愛と導きを見るように学んだ。
妻たちよ、夫に従いなさい。
夫たちよ、妻を愛しなさい。
単純にこう書いてしまうと、不可能な事態にすぐに陥る。
互いの持つ性質と、その奨めは逆だからである。
男は軍隊でも、会社でも、家庭でも、従う事に長けて(?)いる。責任を放棄したいからだ。
女性は、愛する事に秀でている。ややもすると、子どもを溺愛し、縛りつけるように、自分に従えようとする。
しかし、聖書は、その逆を勧める。
だが、さきほど引き合いにした文とは違い、
『キリストに従うように』
『キリストが教会を愛したように』
と、妻と夫に勧めている。キリストは既に、私達を愛し、赦し、ご自身に従うようにとかたりかけて下さっている。
それを忘れて互いの非や、欠けばかりに目を留めると、必ず秩序は崩壊する。
夫たる役割、父親たる役割を担っていく私に課せられた使命は、妻と子どもたちを『意思をもって』愛することだ。
『意思をもって』を強調したのは、愛するとは感情ではないからに他ならない。
喧嘩してしまうこともあるだろう、相手の言動にイラつきも覚えるだろう。
しかし、そんなときであっても、妻が自分にとってかけがえのないパートナーであり、切り離すことの出来ない存在として神から与えられたのだと確認する事であり、また、それを相手に伝えなくてはいけないと言うことでもある。
病める時も健やかなる時も
富めるときも貧しき時も
互いに敬い、これを慈しみ、死が二人を分かつまで貞節を守ることを誓う
それが夫婦であり、結婚なのだ。
忘れてしまう訳にはいかない大事な真理がそこにある。
学びの時に感謝