戦争の芽が育ってしまった。
ツイッターで「悪魔は同じ姿で現れない」との表現を読んだ。
そこで引用されているのが、このブログだ。
確かに大事(おおごと)である。
ふと頭をよぎるものがあった。
24節 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
25節 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
26節 麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。
27節 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
28節 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
29節 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
30節 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」
マタイの福音書13章24〜30節
ある意味、この通りに、毒麦が芽を出し、その種を実らせるまでになった、戦争の種を。
今こそ、大きく育った「民主主義」と「毒麦」を合わせて収穫し、より分けて、毒麦を燃やし尽くすとき。そんな気がする。
70年前の敗戦は、大きな転機だったが、それでも充分ではなかったのだ。
これから先の一歩が、将来を決めるのでしょう。
しかし、今、明確に本当の民主主義が日本で目覚めようとしているのを感じる。昨年までとは、同じ行動をしていても、話しかけていても、反応が違うのだ。
その手応えを実感しつつ、ただ、歩もう。