ヨハネ・パウロII世の事
教皇無謬性とかの教理は信じてはいませんが(まぁ、私はカトリックじゃないので、当たり前なんですが)、それでも尊敬していました。
むしろ、無謬性の影に隠れる事を潔しとしない態度(ガリレイに対する謝罪、十字軍、異端審問、ユダヤ人に対する迫害の歴史をカトリックの過ちとして、主に懺悔という形で世界中を驚かせた)は、カトリックが確かに変わってきている事の一つの証しだった。
ただ、敬意は表しますし、主の御手にその魂が委ねられた事への感謝もいたしますが、個人の崇拝になってしまうことには危惧も多少覚える。
(そういうことでしょ? あなたの危惧しているのは? >某お姫様)
だからといって、悼んでいる人の前に出て行ってグダグダと理を唱えるのはどうかと……うっかり「冥福」とか「極楽」とかの単語つかちゃったひとがいるからといって、目くじらも立てないで欲しいものです。
ちゃんと読んでますか?>某お姫様