想い

一年後の自分宛に、お手紙のつもりも兼ねて……

CSの奉仕を卒業して、中高科に関わろうと願っていたが、少なくとも1年CSの奉仕を続けることになった(ようだ

このことも含めて、何故、そのように願うのか、祈るのか、自分の中を探ってみた。

私の信仰の原点は、「聖書との出会い」と言う意味では、札幌光星学園高等部での生活と言うものを外しては語れない。

この学校はカトリック系のミッションスクールであり、私はここで聖書に出会った。

正確には、学校の帰りになにやら天国について語る人々を見た気がする(小学校のころ)。良くは覚えていない。

当時の私はかなり天邪鬼で、般若心経を写経し、暗誦し、高校の修学旅行では、神社仏閣の朱印を朱印帳に集めて回るような子供で、聖書に抵抗していたのを覚えている。

ただ、抵抗はしていたが、それでも読んではいたのだ。ファンタジー小説や漫画に取り上げられやすい「ヨハネ黙示録」を読むためだとしても。

もとが、読書好きな私である。手元にある活字を読まないわけが無い。

ただ、哀しいかな、手元にあった聖書はギデオン協会の「新約聖書」であった。
旧約は無かったのだ。そして、学校の授業でも、(あまり宗教色がきつくない学校だったせいもあって)原罪や旧約について、あまり触れられないままに時間をすごしていった。

もし、あのころの私が(天邪鬼だったせいもあって)汲み取れなかった福音を知っていたら、どう歩いただろう?
そういう思いを持って、今の中学・高校生に対して接していったらどうだろう?

残念ながら、私の聖書との出会いは、高校より前には遡らない。小学生のころには神様を知っていた私は居なかったのだ(もちろん神様は私を知っていたけれども)。

将来は、「親の世代として」接していくのだろうが、今は「先輩」として接していきたい、自分の原点を見つめなおす意味でも。

ただ、同時に、そこまで判ったなら、教会学校としてだけ関わる必要もとりたてて無い。
若い魂と、向きあえる時間を大切に持って行きたい。

在主