キッズメッセージ

何とか、ちゃんと起きられました>朝

さて、では原稿をば……


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「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです」マタイ26:28 (ルカ 22:7-23, マタイ26:17-29)

おはようございます。まず、今週の暗唱聖句を唱えましょう。

みんなは、聖餐式って知ってますか?
毎月最初の日曜日に、大人がパンと葡萄液をもらっているあれです。

あのときに、「僕もパン食べたいなぁ」とか、「大人ばっかりずるいや」と 思ってはいませんか? 今日は、その聖餐式が、どのように始まったのかを少し話したいと思います。

ちょっと絵を見てください。

(といって、ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵を見せる)

この絵を知っていますか?
「最後の晩餐」という絵ですね。

これから話すのは、この絵の日の出来事です。

これは、もうイエス様が十字架にかかる前の日の事です。
エス様は弟子たちと一緒に、父なる神様のことをみんなに話しながら、多くの奇跡も見せて、イエス様が本当の神様であることを示してきたのでしたね?

さて、イエス様がペテロさんとヨハネさんに何かお命じになっています。
少し聞いてみましょう。

エス:「さぁ、今日は過越の祭りの日です。私達が過越の食事ができるように準備をしに行きなさい」
ペテロさんとヨハネさんはイエス様に聞きました
ペテロ:「先生、どこに準備しましょうか?」
エス:「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家までついて行きなさい。」

不思議ですね。町に入る前から、イエス様はこれから起きることが全部判っていたのです。
このころ、水瓶を運ぶのは女の人の仕事で、男の人が滅多に水瓶なんて持って歩いていないのだということを考えると、これは本当に凄いことです。

さて、この食事は「過越しの祭り」の食事だと言いました。
過越しと言うのは、ユダヤの人々が、エジプトに居たころ、モーセさんがユダヤの人々を連れて約束の地に行こうとした時に、王様が邪魔したので、神様が、エジプト中に災いを起こすことにしたとき、羊の血で玄関に印をした家には、つまり、そのことを知っていたユダヤの人々の家には災いが来なかった、それを記念して行うお祭りのことです。

ペテロさんたちが町に入って見ると本当にみずがめを運んでいる人がいてイエス様が言った通りになったので、すっかり準備ができました。
その場所について、イエス様はこうおっしゃいました。
「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」

どういうことでしょうか?

もう、この食事は十字架にかかる前にみんなでとる最後の食事でした。弟子たちは知りませんでしたが、イエス様は知っていたのです。

そして、続けてこうおっしゃいました

「あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、私はもはや二度と過越の食事をすることはありません」

でも弟子たちには何のことだか判りませんでした。

そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われました。

「これを取って、互いに分けて飲みなさい。あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。

それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われました。

「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」

食事の後、杯も同じようにして言われた。

「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」

このように、おっしゃったのです。


さっきの絵は、そうおっしゃったイエス様とお弟子さんたちを描いているのです。

さっき、過越しの祭りは、羊の血を玄関の戸口に塗った家には災いが来なかったのだと言いました。でも、羊をいけにえにするのは、毎年、毎年、ずっと続けなくてはいけないことでした。そうでなくては、人の罪は重かったので、神様に向かい合うことが出来なかったのです。

でも、イエス様の十字架で流される血は、一度で私たち全員を赦してくださる新しい「契約」なのです。

そして、イエス様が「私をおぼえてこれを行いなさい」と言われた聖餐を、今も教会は守っています。
それは、イエス様が十字架にかかって、私たちの罪をきよめてくれたことを、忘れないように思い出すためでもあるのです。

今は、まだ一緒にすることが出来ない聖餐も、みんなが大きくなって(うちの教会では、受洗資格は中学生以上)イエス様を信じたときに、一緒にパンとブドウ液を口にすることが出来る日を、先生は楽しみにしています。

最後に、もう一度暗唱聖句を唱えましょう。


「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです」マタイ26:28 (ルカ 22:7-23, マタイ26:17-29)