死の誘いと誘惑を振り切って
最近のいじめ、履修問題とその結果としての自殺について思う。
彼等を責めるのはあまりにも酷な話だ。視野狭窄(しやきょうさく)に落ちていて、他の選択肢が見えなくなっているのだから。
死で償える責任は本人の考えるよりは小さいし、むしろ課題を増やすだけである。
また、教育の長(とはいえ、決定権も教育委員会の認める範囲でしか持てない可哀想な存在ではあるが、それでも)である校長の自殺は教育の敗北宣言に他ならず、ひいてはいじめられた生徒の死への誘惑を後押しする結果ともなる。
君の命は学校よりも重い。学校で逃げる先がないなら、学校から逃げなさい。
不登校、いいじゃないか。
それでも進学したければ、大学検定だってある。
あなたの分の責任は、私たち大人のものだ、あなたまだ、背負うことはない。あなたの親や、学校や、政府や、そして最終的には彼等を選んだ全ての選挙権を持つ私たち大人にある。
校長、教育の敗北宣言にはまだ早いやっぱりあなたには責任があり、死はその責任の放棄方としては、下から数えた方が早いほど悪い。
まだしも、国政のせいにして責任転嫁する方がましだ。少なくとも生徒は死への誘惑への後押しをあなたから受けはしない。
あなたの背中を見て、職員は、生徒は歩むのだ、あなたの命は、やはりあなたが考えるより重いのだ。
あとに続かずにとどまって欲しい。願わくば、教育の責任を果たしてほしいが、無理ならせめて正しい逃げ方を見せて欲しい。
子どもたちは私たち大人を意識的に無意識的に見習うのだ、私たちの責任は死で逃げて良いほど軽くはないことを覚えよう。
自戒として、記す。