ダーウィン・メガネをはずしてみたら

先週末、数冊の本を買い、一冊目読破したので、感想。(感想です、書評じゃありません)


ダーウィン・メガネをはずしてみたら (Forest books)

ダーウィン・メガネをはずしてみたら (Forest books)


著者は生物化学をされている理学博士の安藤和子さん。

著作は進化論を裏付ける証拠は、かつて確実と思われていたものが、実はねつ造であったり、誤認であり、また確率上、全くの無から進化という過程で現在の種の多様性を説明するには、偶然と呼ぶのには分が悪すぎるということ*1

また、進化で分化したならば存在する筈の「中間的性質」を持つ化石は存在せず、(かつて、鳥類と爬虫類の中間であり進化の証拠と考えられていた『始祖鳥』は、

  1. 骨が中空である
  2. 全身が羽毛である
  3. 翼を持つ

という特徴で鳥類であるが

  1. クチバシに歯がある
  2. 翼にカギ爪がある
  3. 長い尾骨がある

というのは爬虫類の特徴ではないことが判明しており、単に鳥類であるとしか言えないらしい)いわゆる「ミッシングリンク」は埋まらない状態。

ウマの進化図は視覚的に長いこと進化の正しさを訴えてきたものだが、足の指の本数、歯の形一つとってもその正しさを証明できず、もはや博物館などでは展示されていない。

但し、始祖鳥もウマの進化図も依然として教科書に載っており、問題ではある。

聖書と科学は矛盾するようなイメージを多くの人は持つかもしれないが、それは誤解であると安藤さんは語る。

私も全く同意する。
(私の場合、「科学」に照らして矛盾するような世界観を提示する宗教は問題ありだと昔から思っている。「科学の提示する世界観に」ではない、この両者は似ているようでいて、明確に異なる)

実際、聖書の世界観は進んでいる。

現在の科学の常識でもってはじめて「正しい」と判るようなことが、聖書にははじめから描かれている。地球が丸い事、虚空に浮かんでいること、これらはむしろ聖書にしるされていたが、他人の目が見えないものとされていたために、判らなかったことに属するのだろう。

聖書の世界観は進んでいると書いた、否。正しいのである。
但し(またもや、「但し」だ)、人が正しく理解しているとは限らない。

もちろん私も正しく理解しているという主張は出来ない。ただ、正しく理解しようと試みているのは認めよう。

判らないことだらけだ。が、正直、もっと進化論のほうが分が良いのだと思っていた。
実際にはそんなことは無いばかりか、分が悪いようにさえ見る。

私の文章も含めて「鵜呑み」にはしないほうが良い。考え、検証し、ひとつひとつ確認することが必要なのだろう。
真に正しいものは、いかなる批判にも耐えるものだ。それは時代、地域を越えて必ず生き残る。

盲信してはいけないし、考え無しに退けるのもまた良くないのだろう。
そんな事を、読みながら思った。

*1: 細胞を一つ構成するだけの『偶然』が起きる確率は、この本によれば十の四万乗分の一、四十五億年はたかだか十の十七乗に過ぎないのでこの差は絶望的と言って良い