主日礼拝

韓国チーム

韓国の全州新中央教会から若い大学生を中心としたチームが、今年も先週の火曜日から日本を訪れている。今回の訪問でも、教会学校の手伝いをしてくれたり、トラクト(教会のチラシ)配りの奉仕をしたりと、色々と助けてくれる。

昨年来たメンバーも、多くおり、私のことも覚えていてくれた! 感謝。
今日までで、ほぼ半分の日程、残りの日程も強行軍だけど、体を壊したりしないように祈ります。

礼拝メッセージ

今日のメッセージは、その全州新中央教会の洪(ホン)先生によるメッセージ。
聖書箇所は、詩篇の23編から。「主は私の羊飼い」

韓国と日本の関係も含めて(前夜のサッカーの試合のことも交えながら)、色々と考えさせられました。
しかし、神様がともに歩く時に、どんな安寧を得ることが出来るのかを力強く話す洪先生のメッセージに、説得させられたしだい。ハレルヤ。

分級

今日の箇所は、マタイ25:14〜30の箇所から「賜物を用いる」と題した箇所。
自分に神様から与えられた「賜物」を、用いないことは、褒められたことではない、いえ、信頼に応えない反抗でもあると言うことでもあります。
たとえ話の箇所は、預かった金額の違う人も、主人から同じ評価を受けています。

これは、おそらく、私達の与えられた能力の大小や種類によって評価されるのではなく、その与えられた能力を生かして、神様の期待に応えようとしたかどうかということなのでしょう。


追記:
先日の講演会に参加した関連で、まずはスタッフの間で認識を合わせるために、

性について話そう―のんちゃん&おかあさん

性について話そう―のんちゃん&おかあさん

を回し読み開始。

夏だしね、急いでおくに越したことはありません。


数学?

教会学校の子供の一人に、数学の苦手子が居るので、少しだけ考え方を教える。

「概念」って言うのは、なんて説明の難しいものなのだろう?
ロジックじゃないんだよね、そうすると、必然的に、対話が必要であり、本当の「根源的な要素ってなんだ?」ということを考えさせられました。

自分が判るからって、相手も判ると思うのは、あまりにも無理解。
でも、自分が判らなきゃ、相手には伝わらないのです。

数学にしろ、他のなんにしろ。

フォースリー

中部地区JECA青年会の集まりが、うちの教会 ( 栄聖書教会 )にて開かれた。韓国チームと、また、うちの中高科とも合流し、結構な人数に。

途中、ブレーカーが数度飛んだのはご愛嬌(汗
讃美に、証に、食事にとなかなか盛り上がりました。

普段の常連な顔が幾分欠けていたのが残念。

夏だなぁ。