ウィクリフ異文化宣教セミナー3日目

礼拝: 朝7時より礼拝。その前にすべての片づけ、荷物出し。
写真撮影
朝食

音韻論、講師はM先生。

昨日の音声学となにが違うかといえば、音声学が純粋に発音(発声?)器官から出てくるいわば物理的な音を対象としていたのに対し、今度は聴者にとってどのようにとらえられるかという学問。(もちろん、触りだけですが)


たとえば、出てくる音は別でも、その言語の使用者にとって区別されなければ、その二つの音が別の文字で表される必要はない。


このことは、聖書をその言語に翻訳する際の正書法を制定する際に利いてくる。


最初この話を聞いたときには、違う音が区別されないなんてそんなことがあるのだろうかと思った。


しかし、私たち日本人は確かに「ん」の発音を区別していない!!


具体的には
担当(たんとう)と繊毛(せんもう)と兼業(けんぎょう)に出てくる語中の「ん」の発音はすべて違う。

担当の場合は、発音は(空気の流れを止めているのは)歯茎の辺り、

繊毛であれば、両唇、兼業であれば、のどの辺りになる。

(n,m,ngと書くと判るだろうか?)

言われれば理解できるものの、普段聞くとき。話すとき、私たちはこれらの音を区別していない!!


このことに気づいただけでも収穫だ。
(音素も習ったけど、まだ消化できてない)

次は言語習得、I先生からK語を習う、必ずどこかに所属しなくてはいけない言語らしく、「私の手」「彼の手」と言う単語はあっても、「手」という単語は存在しないらしい。

概念と概念があわない言語間で翻訳はむずかしそうだ。



次は、翻訳。T先生だ。

聞き取り調査によって、意味と発音が判ったとする。
そこから文法を抽出していく作業だ。

調べていく中で、その音が音韻論の言うところの異音である場合もあるわけだ。
例として出てきた言語には、品詞が動詞しか無かった。
「夢の木が接げたら」と言う小説にそんな言語があることが示唆されていたけれど、この目で見るとは!!

そうして抽出した文法にあわせて、聖書の概念を訳していく、なんて根気のいる作業だろう。


最後に、この三日間で(事前に提出した意気込みと比べて)どう変わったか、恵みを受けたかと言うことを分かち合い。
修了証と祝福をいただいた。


私は、この三日間を忘れないだろう。