主日礼拝
日曜日、今日は礼拝の日。体の予備がどこにあったか、思い出せません、日曜日は体があと二個くらい欲しいなぁ。
プレイズ
今朝は賛美奉仕から。開始。
昨日の白黒で疲れた人が多いのか、礼拝前の讚美の時には人が少ないなぁ。
礼拝
メッセージ。
末松師、聖書箇所は創世記50章。ヨセフ物語の最後である。
ヨセフの父ヤコブ(イスラエル)およびヨセフの死までが扱われた。
ヤコブの死後、ヨセフの兄たちは、ヤコブと言う歯止めがなくなった今、ヨセフがついに自分達に復讐を始めるのではと危惧し、ヨセフの元にひれ伏して許しを乞う(この時点で60〜80年は昔のことだろう)。
しかし、ヨセフはもう何年も前、あの大飢饉の際、実は自分はあのエジプトに売られた弟ヨセフだと兄たちに告げたときに、すでに許しているのである。
この事は人が自分の枠組みの中でしか様々なことを理解できないことに由来する。
韓国に行ってきた若者のチームが、独立記念館のなかでの会話を先生に伝えたのだそうだ。
独立記念館は、なぜ韓国が軍隊を持たなければならないのか、日本との間に何があったのかを刻名に資料としてあり、日本人が行くといたたまれない感情にさいなまれる場所であるようだ。
かつて先生もその場時箇所を訪れており、周りからの視線に刺されるようだったという。
しかし、今回、違ったと言うのである。
「ここにあることは全て事実です。しかし、誤解しないで下さい。これは日本人に対する恨みをかき立てるためのものではありません。事実は事実として、今から私たちができることを考えなければいけません」
と。
過去の罪は、無くなる訳ではない、ただ、赦されることはある。
ヨセフの記事も、韓国での出来事も、このような赦しの原理の中での出来事であり、私たちは覚えなくてはならないだろう。
報告会
韓国に行ってきた若者たちによる報告会。本当に下にも置かないもてなしを受けてきたらしい。
メッセージ中にもあった独立記念館の話もきいた。
彼らを暖かく受け入れてくれた韓国の皆さんに感謝。
納骨堂起工式
教会敷地内に納骨堂を作るのだか、2年以上かかった手続き上の準備も整い、今日ついに起工式となった。
わずかに雨の滴らしきものも感じられたが、それ以上にはならず、ホッとする。
私自身、まだ自分の死については実感がない。
しかし、父を亡くしてから、やはり大事な問題なのだと考えるようになった。もっと高齢の方には切実な問題だろう。
この場所がまた証の場としても用いられますように。
葬儀
昨夜の前夜式に続き、本日はY兄弟の御葬儀がありました、
次に天の御国で会う日まで、しばしのお別れです。
Y兄弟、82年の人生、お疲れ様でした。