コメント感謝 & 声なき声に耳を傾けて

あり得ない選択肢 - きりなの日記]にて書いた日記に意見を同じくするコメントを多数頂き、感謝です。

関連して、少し思うことを書いてみようとおもいます。

離婚と言うものが世の中にはあります。

男女の事は複雑ですから、(良いか悪いかは別として)一度は結婚した夫婦が、ついに離婚に至るというのは、まあ、あり得ることです。

単に聖書が禁止しているからという理由で、離婚はいけないとは単純に言えないケースもあるでしょう。

二人は大人なので、自分の意思を表すことができますし、喩えどちらかに隷従を強いられるようなことがあったとしても、そこには抵抗があり得ます。

しかし、乳幼児であったり、ましてや胎児であったりするものは、抵抗もできず、ただ「大人の諸事情」に振り回されてしまう存在なのです。

いいえ、その存在さえも奪われてしまう事が、ままあるのが現実です。


子どもは親を写します、まさに鏡のように。

親子が似るのは、そりゃ身体的な特徴は仕方がないとしても、子供が親を見て真似るからと言う要素を無視してはいけません。

子供を虐待する親のうち、有意に多数が、自らも虐待された経験を持つと言うのは、よく知られる話。


とはいえ、人には自由意思があります、この一見呪われた呪縛に見えるものも、振り払うことができるのです……それが、強い意思によって為されるのか、あるいは、自らが「赦される」という体験を通してはじめてなし得るのかは、個人差も大きいので、一般化はしませんが、人には良心や理性、思いやる心、想像力に魂と言った、他の動物とは根本的に違う優れたところがあります。

せっかくの優れたものを手放して、獣に堕するのは悲しいじゃないですか。*1


想像力を働かせましょう。立場の弱いものに我が身を置き換えて。

人は力なく、守られてその生を始め、やがて、力無く看取られていくのですから。

大きな、腕にすがりつくしかない者に、目を留め、耳を傾け、そして語りかけませんか?
「安心していいよ、あなたは私が守るから」
と。


かつて子供だったものからのお願いです。

*1:しかも、その『獣』は滅多に子どもを巣立つまでは放棄しないのだし、獣以下じゃ嫌じゃない?