カトリックとプロテスタントって?

昨日(d.id:kyrina:20071020:p2)の続き

良く「プロテスタントは万人祭司制だけど、カトリックは……」的な声を聞きますが、カトリックも万人祭司制なのですよ、実は。信徒が宣教して良いのです。主なる神への橋渡しが出来るのは、司祭・司教に限らず一般の信徒も行うべきことなので、万人祭司制と言う観点では差異は無い様に見えます。

また、「カトリックは十字架にイエス様がかかっていたり、マリア像を拝んだりしているから偶像崇拝に当たるのではないか」と言う意見もありますが、少なくともカトリックの教理的にはその意見は的外れ。聖母理解はプロテスタント側からは判りにくい面がありますが、少なくとも神としているわけではないのであり、「とりなしの祈りの依頼」がアヴェ・マリアの歌詞の本質であり(
下記対象参照)

Sancta Maria, Ora pro nobis peccatoribus, nunc et mortis nostorae.

天子の母、聖マリア、罪人(つみびと)なる我らのために、今も臨終のときも祈りたまえ

祈祷文、Ave Maria の終わりの部分。同名の歌は、この祈祷文を歌詞にしている。

像そのものに祈るのも、教理上はありえないことです(誤解して像に祈ってしまっている人が
「居るかもしれない」と言う意見は、聖書を読んでも誤解して偶像崇拝している人が「居るかもしれない」と言うのと同じなので無視します)。


聖伝に重きを置きすぎて、聖書理解から離れているんではないかと言う声もありますが、それは憶測でしかないので、私にも判りません。


私がカトリックに対して思う印象は、「良くも悪くも大きい」と言う事。

まずは「良くも」の部分。

カトリックは全世界で日曜日に読まれる聖書箇所は同じなので、全世界のカトリック教徒は、どこの国のどのカトリック教会のミサ(≒日曜礼拝)に出席しても、「先週の続き」の聖書箇所になり、自分の教会に戻ってから「先週の箇所」の話をしても(少なくとも聖書箇所に関しては)同じになります。

つまり、全世界のどの教会も「自分の教会」であるわけで(論理上は)、これは他の教会には真似の出来ない良い点です。

次に「悪くも」の部分。

カトリックの教理的に「ミサ」で大事なのは説教ではなく聖体拝領なので、御聖体(≒パン)さえ貰ってしまえば「安心」なのです。そのせいなのかわかりませんが、説教を聞いていない人が(本気で熟睡している)いたり、自分の言葉では祈れない人の割合が多い気がします。


気がしますと言うのは、14年前から7年前までは私はカトリック教会に通っていたので(通っていただけ、洗礼は受けていません)、その中での印象です、会員になった訳ではないのであくまでも個人的な印象にしか過ぎないとだけ強調しておきます……冷静に考えれば、その間に通ったカトリック教会は、全部で4箇所ほどありますが、全部「司教区」が同じだわ ^^;
なので、他の司教区では、ひょっとしたら全然違うのかもしれません(記憶違いでなければ、日本においては、司教区ごとに宗教法人格を持っているはずなので>カトリック

また、その日の聖書箇所は「週報」に載っているので、聖書をあんまり持ってこない……その週ごとの祈りが週報に書かれているので、祈りの言葉を自分で考えずに「読むだけ」だったり。(読んでいるんではなく、ちゃんと祈っている人のほうがもちろん多いのですが、読んでいるだけでも何とかなってしまうと言う点が、やや不安)

ただ、後半の「悪くも」と書いたところ、実は同時に良い点でもあったりするかもしれません。
教会に繋がり続けられやすいので、繋がり続けることで、やがて実を実らせると言うことも言えるのです。


「憶測」でものを言ってしまうと、エライ誤解が互いに多そうなので、以上、プロテスタント向けのカトリック擁護的な文章でした。


参考文献:

カトリックとプロテスタント―どこが同じで、どこが違うか

カトリックとプロテスタント―どこが同じで、どこが違うか

カトリックの信仰 (講談社学術文庫 (1131))

カトリックの信仰 (講談社学術文庫 (1131))