技術と技能

一見似た言葉だが、実は結構意味するところは違う。


『誰にでも』と言うと語弊もあるが、基本的に言葉や資料などで伝達可能で、どこででも再現が可能なのが『技術』

それにたいして、伝達不能な個人技が『技能』になるだろうか?


伝達不能と云うのは、例えば、英会話の『能力』は本を読んでうまくなるもんではない。個人に紐付いている『技能』な訳だ*1


一方、コンピューターの演算などは、素人がやろうがプロがやろうが『決められた手順道理にやるなら』同じ結果が出る。こういうのを『技術』という。


さて、信仰は技術か技能かというアホなことを考えてみる。


神学は技術で、証しは技能と云うことになろうか?*2


聖書を下敷きにするか、他にも認めるかと云うのはあるが、検証可能なものの上に疑いようもなく組み立てていく。同じ前提で筋道を追えば、同じ結論に至る……これは技術だ。((確認1))

次に、証(あか)し、これは個人の体験に基づいて、信仰の表明をしたり、神様を称えたりするものになるが、証しを聴いてその人と神様との関係を推し量ることはできても、その人と同じ関係を神様に対して持てるわけではない、そのため、証しは『技能』的。


だからどうしたと言われても困りますが、つらつらとそんなことを考えたので、記録的に日記にしておきます。

*1:実用英語技能検定試験は技能を測るのです

*2:仮説