振り返って見るなら、多くの実が実っていたとしても、ご本人にとってはなんでもない当然のことだったのかも知れない。

イサクを捧げようとしたアブラハムのような心境だったのだろうか? 私たちは、その実が実ったので、集う事ができた。

その実を見れば、その木の良し悪しが分かるのだとすれば、なんという善い木であったのか。


しかし、木はやがて倒れ、朽ち果てる。


朽ちる体は脱ぎ捨てられ、栄光の体を着るのです。


やがて、また会う日まで。少し寂しくなりますね。

きれいな川のほとりで、また、お目にかかりましょう。