幻(ヴィジョン)

何事も、ただただ目の前の作業を作業として行うのと、全体像をつかんだ上でその構成要素としてその作業を理解するのでは、熱意も集中力も異なって来る。


聖書の中には、神が民に幻を見せる描写が何度も現れる。


この場合、幻とはあやふやな、虚ろなものではなく、未来において確かに成就する確約であり、保証でもある。

旧約聖書に多く用いられる時制として、預言ね際に用いられる完了形(≒過去形)があるらしい(私はヘブライ語はまだ読めないので受け売りです)。

実際には未来に於いて完了する出来事に完了形を用いる……疑いなしにそれが為ると確信する。


今の日本で、自分自身を含めて、未来像は描き難いのだけど、それが出来るなら、虚ろな日々の不安と出口のない閉塞感に端を発する悲惨な事件や犯罪が、少しは減るんじゃないかな。