主日礼拝

月が変わって、第一主日の今日は聖餐式がもたれる週だ。


妻は風邪をひいてしまったので、教会をお休みした。



同じく風邪で倒れた姉妹がいて、キッズメッセージ担当であったのが、十分な準備が出来ないと判断したのか、早めに旦那様にヘルプを出したらしい。



中学の国語の先生でもある兄弟のメッセージは、しっかり古典の授業でした(板書のメモをとってしまった)。


エス様が、湖の嵐の中で(イエス様に助けを求めることもせず)うろたえて騒ぎまくっているでしたちを横目に、風と波とを叱りつけて静める箇所ですが、ここを説明するために百人一首から一首

吹くからに
 秋の草木(くさき)の しをるれば
 むべ山風を 嵐といふらむ
          文屋康秀(22番) 『古今集』秋下・249

これは、

吹いたらすぐに
秋の草木がしおれるので
なるほど、山から吹く風を『嵐(荒らし)』と呼ぶのだ

と言うような意味になるらしいが、

これを読んだら人も、まさか嵐の最中にこんな悠長な事を考えたのではなく、あとから冷静になってから観察した事を歌ったのだろうが、弟子たちも、そりゃあ今にも沈みそうな船に乗っていたら落ち着かないわな……と言う文脈で古文だった。

学生時代を思い出して、新鮮だった。


礼拝メッセージも同じ箇所からで、このように常に冷静であるイエス様が、聖書中で唯一取り乱されるシーン『ゲッセマネの祈り』の意味や、この風と波を叱りつけて静めるシーンとイザヤ書との関係もあわせて聞き、理解を深める事が出来た。感謝。


午後は聖歌隊の練習があり、次週とイースターに備えた。ハレルヤ