被差別問題

水谷潔先生がここ四回ほど取り上げている被差別問題が目に止まったので、リンク。

ここにも差別?芸能界実例編(4) | 命と性の日記〜日々是命、日々是性

私も、私の亡くなった父も北海道の育ちだが、私が高校の頃、こう言っていたのを思い出す。

「(島崎藤村の『破戒』を手にして)この『破戒』は学生時代に何度も読もうと思ったが、あの当時は生々しくて読めなかった、北海道に帰ってきてからやっと読むことが出来た本なんだ」
と。

北海道は、いわゆる「内地」における差別問題との関係が(少なくとも、私が子どもだった頃には)希薄な土地だ。

そのため、差別問題を自分とは関わりのない問題ととらえていたような気がする、否、問題に気付いてすらいなかった。

学校で江戸時代の身分制度を習い、「士農工商」よりも下の身分の存在を教えられたときも

「『昔の人は』酷いことを考えたんだなぁ、『今はそんなことは無い』のだから良かった」

などとのんきなことを考えていたのを思い出す。

実際は、かつては(正当な理由ではないにしろ、身分制度として明確に)存在した理由は、とうの昔に消滅しており、差別要因は理屈の上ではない筈なのにそこに厳然と存在するので、なお悪いとも言える。

いろいろと考えなくてはいけないよね。価値観、思想、病(やまい)、信仰、民族、性別、国籍の如何を問わず「人としての価値は『神の似姿として』同じ」なのだから。*1

出来ることから、始めるしかないけど、諦めは敗北。まだ必要ない。と、思う。

*1:具体的な病気を治療してはいけないとか、外敵など存在しえないと言う主張では無いので、念のため