主日礼拝・アドベント第二週

今朝は、私は賛美奉仕じゃないので、比較的のんびりと。教会へ

まだ、昨日の余韻に、教会が浸っているように見えた(たぶん、私の思い込み)

礼拝

今朝はマタイの福音書の1章1〜16節を箇所として『イエス・キリスト系図』として末松師


初めに、驚いたのだ。司会者が朗読しているときに。


今までは、退屈な羅列にしか見えなかったこの系図が、壮大な歴史の流れとして聞こえ始めた(まだ不完全)。
マタイの福音書の想定読者はユダヤ人だと記憶しているので、彼らにはこれは生き生きとした記述であったことだろう。


さて、イエス様の系図には意味があり、旧約聖書を丁寧に追って行くと、ダビデの裔が王に為るという記述と、神ご自身が王になるという意味の記述がある。(以下の聖書引用箇所は、全て新改訳聖書第3版より抜粋)

  • わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。・・神である主の御告げ。・・わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。エゼキエル書34:15-16
  • わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしのべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる。エゼキエル書34:23-24

これらは、一方の直後に置かれ、互いにはなれた位置に在るテキストではない。
間違い無く並行に書かれているのだ。

王は、神なのか? ダビデなのか? この一見矛盾する記述に当時のユダヤ人は戸惑いを覚えたのだと言う。そして、やがて、前者は「詩的表現」として忘れられ、後者の「ダビデの裔」が王として立つと言うメシア預言がやや(?)偏りを持って広がっていく。

この二面性は、神であり、同時に人であるイエス・キリストに置いて焦点を結ぶ。

末松先生は、この箇所を

「『○○駅は中央本線の駅である』と言える駅はいっぱい在り、『△△駅は東海道本線の駅である』と言える駅もたくさん在る。しかし、『東海道本線であり、なおかつ中央本線で在る駅と言えば、名古屋駅しかない、二つの独立した路線がここで収束する」

と、やや鉄い表現で説明してくれた。


単なるコジツケではなく、イエス様が処女降誕によって、歴史上後にも先にも起こらない出来事によって誕生したのは、次のような聖書箇所からも読んでいく事ができる。

  • わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。(蛇(サタンの象徴)に向かって) 創世記 3:15
  • あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。アブラハム契約 創世記12:3
  • あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。(イスラエル王国建国のダビデ王に対して、 サムエル記第2 7:12-16)
  • 主はこう仰せられる。「この人を『子を残さず、一生栄えない男。』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」 (バビロン捕囚に逢うダビデ王の子孫のエコニヤ王に対して エレミヤ書22:)


ダビデの血筋から、永遠の王座につくものが出ると言っているのに、彼の子孫からは王が出ないと言う。
判りにくいが、彼の血筋であって彼の子孫ではない男・・・それが読みとられるべきコンテキストだ。

神であり、ダビデの裔であり、王である方が、上に立って支配されるのではなく、全ての人のために従順に十字架に付かれ、死を以って、私たちの罪を贖(あがな)われたのであり、これもまた、逆転の構図になる。

ちょうど、凸レンズを通して映し出される景色が、実像と上下(左右)が反対になるように、イエス・キリストと言う焦点をを通して、構図が逆転する。

この憐れみに、感謝したい……


分級

ルカによる福音書から、ザカリヤの礼拝と言うタイトルの箇所……なのだが、昨日の疲れからか、昨夜の真夜中まで、確信を以って私は次週の範囲「マリヤの礼拝」と言う箇所を予習していたと言う(汗

まぁ、映画「マリア」の箇所だからね > 今週のも次週のも
もちろんこの辺りは何度も通して読んでいるので、やっつけでも何とかなったのですが・・・心臓に悪い > 落ち着いて読みましょう(生徒にいろいろ言えないや・・トホホ)

その他

午後は教師会、クリスマス委員会、グループ連絡会と会議もの3連チャン
その後、讃美の練習。

充実した聖日だったけど、身体がやっぱり、2個欲しいかも ^^;